能登半島地震、そして羽田の事故から1ヶ月が経ちました。

 能登半島地震から1ヶ月が経ち、そして羽田空港での海上保安庁航空機の事故から1ヶ月ですね。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

能登半島地震から1ヶ月

 昨日テレビでは、能登半島地震から1ヶ月というタイトルのニュースを多く放送していましたね。その中で印象的だったのは、ある被災者がまだ自分の中では、1月1日だと言っていた事ですね。この方、地震で奥さんと、娘さんを亡くしたという方でした。どんなに辛いことでしょう。ましてや自宅も倒壊してしまい、仕事もどうなるか、、、、、。不安だったり、寂しさだったり、、、。ライフラインや仮設住宅の建設などの復興事業も大切ですが、被災者のメンタルケア、特に大切な家族を亡くした方のグリーフケアにも力を入れなければなりませんね。

そして羽田の事故からも今日で1ヶ月

 そして羽田空港で発生した、海上保安庁航空機とJAL機の衝突事故からも、今日で1ヶ月ですね。以前もブログに書きましたが、この事故では私の教え子も亡くなりました。 今から8年前でしょうか。私が京都府舞鶴にある海上保安学校の練習船みうらの教官をやっていた時の教え子です。 亡くなったクルーの中で最年少の27歳でした。

当たり前の日常が、当たり前でなくなる時

 地震にせよ、羽田の事故にせよ、被災者や海上保安庁の羽田航空基地の職員、あるいは亡くなったクルーのご家族の方からすれば、当たり前の日常が、1ヶ月前の出来事を境に当たり前じゃなくなってます。私も、約35年間妻と過ごした当たり前の日常が、昨年4月から当たり前じゃ無くなっています。これは、本当に体験した人じゃなければ分からない心の傷になりますね。
 昨日のテレビのニュースで被災者の方が、「まだ1月1日だ」っておっしゃっていたこと、すごく良く分かります。私も、まだ家の中は、去年の4月のままですし、内心は時間が止まっています。 現実には、どんどん時間が過ぎていますが、、、、
 よく周りの人が、「早いね」って言いますが、当事者にとっては、まだその時ですし、全然早くないと思います。まぁ、いつかは、トンネルを抜けて状況が変わるのかも知れまんがね。恐らく被災者の方や、羽田の事故で亡くなった遺族の方も同じではないかと思います。そしてそのお気持ちを察すると、私も辛くなってしまいますね。昨日もテレビを見ながら泣いてしまいました。 でも、やるべきことは少しづつやらないといけないんんでしょうけどね。